海外日本食 成功の分水嶺(116)タイ・タタミ・プロダクツ〈下〉

連載 総合 2021.01.08 12169号 03面
女性従業員らと記念撮影に応じる島田正治社長(中央)。手にするのが出荷前の製品だ=タイ・チェンマイで小堀晋一が10月30日写す

女性従業員らと記念撮影に応じる島田正治社長(中央)。手にするのが出荷前の製品だ=タイ・チェンマイで小堀晋一が10月30日写す

●まさか、タイで作っているとは

タイで唯一の畳メーカー「タイ・タタミ・プロダクツ」(チェンマイ県)を経営する島田正治社長は岡山県牛窓町(現瀬戸内市)の出身。瀬戸内海に面した風光明媚(めいび)な町で、オリーブやマッシュルームの生産地としても知られる。高校を卒業して就職した、鉱石を取り扱う会社の会計係としてタイに赴任したのは22歳のとき。鉱山はチェンマイにあり、こうして北タイとの関係が始まった。

30歳代で独立後は、日本からの団体客などを相手としたツアー会社をチェンマイで設立。折からの海外旅行ブームもあって、着実に業績を伸ばしていった。訪問客は多い時で1ヵ月に500人にも。年間で7000人近い日本人旅行客のタイ旅行をコーディネートしたこともあった。仏教の国だけあって、寺院巡りが人気だった。

チェンマイ在住が長くなると、タイ人・日本人問わず、さまざまな相談も受けるようになった。そんな時に出会ったのが故郷岡山県にある老舗畳メーカーのオーナーだった。イグサの産地熊本に加え、岡山も有数の畳の生産どころ。同メーカーでは海外進出を展開しようと、タイでのイグサ生産を模索していた。その話が寄せられた相手先が島田さんだった。

結局、イグサの現地栽培の難しさなどから同メーカーのタイ進出は実現しなかったが、島田さんが構想を事実上引き継いだ。当初はタイで畳を生産し日本への輸出も考えたが、割安な中国製がすでに市場を席巻していたことから諦めた。代わって照準としたのが、ゴザのニーズがあって今後の需要が見込まれるタイ市場などへの供給だった。タイ・タタミ・プロダクツ誕生の瞬間だった。

製品となった畳は内装業者などを通じて流通したほか、当時バンコクにあった日系百貨店など大型商業施設の売場にも陳列された。タイ現地生産品だが、日本製と変わらぬ見栄えの高品質。「まさか、タイで作っているとは思わなかったでしょうね」と島田さんは振り返る。売上げも次第に増えて行った。

畳の生産を開始して約20年後。今度はバンコクの日本食レストランや食品メーカーなどから、新鮮日本野菜のニーズがあることを知った。年間を通して熱帯の高温が続く平野部では生育が難しいのだという。ならば、日較差で15度Cほどもある高原のチェンマイならばおいしい野菜ができるはずと、生産してくれる契約農家を探した。

「タイの台所」とも呼ばれる農業県だけあって、程なく生産してくれる農家も見つかった。いよいよ栽培を開始。大根、ゴボウ、水菜、キャベツ、長ネギ、玉ネギといった日本食には欠かせない新鮮野菜が次々と出荷されていった。最近では小分けにして小売店などでの店頭販売も行われるようになった。

勤務先での海外赴任から縁のできたタイの暮らしも半世紀を超えた。つらいこともいくつもあったが、それらを乗り越え今がある。畳工場では、親子ほどの年の離れた職人や従業員の女性から敬愛を込めて「クンシー(島田さんの意)」と慕われている。島田さんのタイでの挑戦はこれからも続く。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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