海外日本食 成功の分水嶺(152)メニュー・デザイン・ラボ(タイランド)〈下〉

総合 連載 2022.09.30 12475号 06面
メニュー・デザイン・ラボ(タイランド)に掲げられた社訓=タイ・バンコクで小堀晋一が8月29日写す

メニュー・デザイン・ラボ(タイランド)に掲げられた社訓=タイ・バンコクで小堀晋一が8月29日写す

●コロナ禍で得たものも大きい

2年半に及んだタイの新型コロナウイルス感染症。政府によるロックダウン(都市封鎖)は街から人の姿を消し、各地の飲食街はさながらゴーストタウンのように静まり返った。飲食店の撤退や店舗縮小も相次ぎ、街は空いた貸テナントであふれ返った。いまだ十分に傷口が癒やされたとは言い難いが、それでもかすかな回復の足音が聞かれ始めている。

バンコクでメニューづくりのデザイン会社「メニュー・デザイン・ラボ(タイランド)」を経営する近藤かおりさんは、「コロナになって良かったと思えることもあった」と今さらながらに明かす。終わりの見えない未曽有の感染症の拡大。「普通なら撤退しかない」と思う中、自分が踏みとどまった現実を静かに振り返っている。

「やめない理由」。それが、近藤さんがコロナ禍で追い求め続けた超難問だった。売上げがほとんど立たない中、なぜそこまで頑張れるのか。どうして海外に居続けようとするのか。自問自答の日々が続いた。

直ちに解が得られたわけではなかった。この2年半、一度も黒字を計上しなかった事業会計。まず分かったことは「金ではない」ということだった。だとすれば何だろう。いったん撤退すれば再進出しにくくなるから、という仮説も説得力に乏しかった。

こうした中で浮かんできたのが、「その道を極めたい」という思いだった。好景気に沸き、出店すればはなから繁盛店となったかつてのタイ飲食業界。メニューブックの注文も途絶えることは想定しにくかった。作る端から売れていく。誰もがタイでの「成功者」たりえると言っても、言い過ぎではなかった。

「たぶん、認められたかったからだと思う」と近藤さん。「本物だよな」と思われるかどうかを自分の目で確かめたかった。

タイに来て10年。曲がりなりにも日系飲食業界で知られるようになったが、売れれば売れるだけ「流れに乗っているだけ」という心ない無神経な指摘も少なくなかった。「彼女、ぶれていないよ」と誰かにほめられたかった。

すっかり仕事がなくなったコロナ禍のある日、思い立って会社の壁に「社訓」を掲げてみた。「なんでもできる」。タイに来る前、ずっと心に秘めていた言葉だ。大阪の会社に就職したのに、一人、東京で新規営業を課されていたあの時代。自分を支えてくれたのがこの言葉だった。

社訓を見ると、東日本大震災後のことも思い出す。あの時も、一気に注文が減った。作成中のメニューブックも、一時ペンディングの指示が相次いだ。「ペンディングって何よ」といらだつことも少なくなかった。だが一方で、こうも思った。もう一度顧客回りをすればいいだけのことと。

あの時も大変だったが、コロナ禍は先が見えなかった分だけ、不安との闘いが大きかった。だがそれも今、ようやく先が見え始めたことで落ち着きを取り戻している。

長かった2年半。「失うものも大きかったが、得たものもとても大きかった」と近藤さん。迷いがなくなった自分の本気度を、今はただ試したいと思っている。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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