海外日本食 成功の分水嶺(162)居酒屋「もりもり」〈下〉

連載 外食 2023.02.22 12540号 04面
居酒屋「もりもり」の店内。純和風の造りとなっている=タイ・バンコクで小堀晋一が1月31日写す

居酒屋「もりもり」の店内。純和風の造りとなっている=タイ・バンコクで小堀晋一が1月31日写す

●ウエートレスから経営者転身

タイ・バンコクにある居酒屋「もりもり」を経営するタイ人のパニダー・セジウさん(ニックネーム=モーさん)は中部アユタヤ県の出身。町があるセーナー郡は「(チャオプラヤー川の支流)ノーイ川が流れているだけの産業も何もない町」とモーさんは説明する。そうした土地で育った6人姉弟は、学校を卒業すると仕事を求めて次々とバンコクに働きに出た。それが当たり前の時代だった。

何件目かの勤務先でモーさんが出合ったのが、今もバンコクにあるタイ人経営の居酒屋だった。仕事の内容は給仕。つまるところのウエートレスだ。噂には聞いたことはあったが、本格的には初めて目にする日本食。海のものとも山のものともつかぬ居酒屋メニューの名を、必死になって覚えた。

店内などでたまにあった試食の機会では、率先してその味に触れ、楽しんだ。経験したことのない繊細で優しい舌触り。瞬く間に日本食のとりこになった。

しばらくたつと、もっと日本語や接客スキルを磨きたくなった。日本人とのお客さんとももう少し会話をしてみたかった。こうして通ったのが日本語学校。仕事との二足のわらじを両立させ、半年近く勉強を重ねた。

わずかでも日本語を覚えると、仕事はぐんと楽しくなった。客のしぐさや好みなど見えなかったものも見えるようになった。自然に自信もついてきた。こうしてウエートレス生活が6年半に達したころ、モーさんが考えたのが独立だった。

今も昔も、ウエートレスからのいきなりの経営者への転身は異色な存在といえるだろう。仕入れの仕組みや会計のノウハウなど覚えるものはかなりある。だが、モーさんは考えた。「なんとかなるさ」。楽観的な性格が後押ししてくれた。

この時、「一緒に居酒屋をやろう」と誘った相手が、6人姉弟の末の弟ジラット・ジラセティクンさん(同リンさん)だった。弟はちょうどそのころ、バンコク東郊パトゥムターニー県の寺で厳しい出家生活を送っていた。僧侶から居酒屋経営者への転身もかなりの異色だ。最初はとまどったというリンさんだったが、最後には姉の熱意に根負けし協力することに。こうして弟が還俗してまで出店した店が「居酒屋げんき」だった。

経営は順調に推移した。11年後には2号店となる「もりもり」をオープンさせた。当初の夢だった「元気もりもり」が実現した。2006年にはカラオケ店の「かりん」を通りをはさんだ向かいに開店させることができた。12年には日本食店が集まるスクンビット26の地区に「げんき2」も出店した。

コロナ禍などを経て、「もりもり」と「かりん」の2店になったモーさんたちだが、持ち前の明るさは変わらない。しばらく中断している日本旅行もそろそろ再開しようと思っている。「私、刺し身が好きなの。今度は北海道にいってみたいわ」。そう話すタイ人経営者の笑顔はどこまでも前向きで魅力的だ。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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