海外日本食 成功の分水嶺(106)日本食材輸出入・催事請負「SSO213」〈下〉

総合 連載 2020.08.24 12103号 08面
バンコク伊勢丹内に出店する新美誠治さんの「せまく亭」。広島産カキなどを販売する=タイ・バンコクで小堀晋一が7月27日写す

バンコク伊勢丹内に出店する新美誠治さんの「せまく亭」。広島産カキなどを販売する=タイ・バンコクで小堀晋一が7月27日写す

●水産の街に拠点構える

8月末で撤退の決まった「バンコク伊勢丹」から、最後のフードコート運営などを委託された日本食材輸出入・催事請負業「SSO213」の新美誠治さんは愛知県の出身。16歳で「手に職をつけたい」と大阪に出て、寿司店に入社した。厳しい徒弟制の職場だったが、5年目には板場に立たせてもらい、なおも修行を続けた。

イタリアンレストランなども勤めた後に勤務したのが、鮮魚など魚全般を扱う日本第2位の大阪中央卸売市場だった。

「将来独立をするなら仕入れを覚えないと」というのが動機だった。通算10年の板場経験で、魚は知った気になっていた。ところが、その思いは瞬く間にうちひしがれる。「その程度で魚を分かったふうに言うな」。料理店で魚を扱うのとは、天と地ほどの開きがあった。

初めの5年は、魚のさばき方、産地の見分け、目利き全般を勉強した。その後5年で仲買の業務、営業全般を学んだ。鮮魚から塩干(えんかん)物、貝類、淡水魚まで魚に関する一通りを学習。「オールラウンドに学ばせてもらった」

ちょうどそのころ、タイにあるバンコク伊勢丹から照会があった。「関西フェアを開催するのだが、鮮魚を取り寄せられないか」。これをきっかけに関心を持ったのが海外の市場だった。

休暇を取って初めての海外視察へ。成長著しい東南アジアの市場に魅力を感じ、単身海を渡る決断をした。35歳の時だった。「人生一度きり」。悔いを残したくなかった。

バンコクにある日系の大手食材輸入会社に就職し、ここで輸出入の基礎を学んだ。タイにある食材を日本向けに紹介していくことも覚えた。渡航のきっかけとなったバンコク伊勢丹の催事にも引き続き関係した。

3年半が経過したころ、大阪時代にすでに親交を持ち、ほぼ同時期に相次いでタイに拠点を移した居酒屋チェーン「しゃかりき432“」グループの社長に誘われ転職した。会社経営を学びたかった。

しゃかりきでは、徹底した裏方作業。2、3ヵ月に1店舗のペースで新規出店攻勢を掛けていた時だった。事務作業を覚えただけでなく、日本から鮮魚を輸入する自社ルートも開拓した。かつては敬遠されていたものの、今ではタイ人にも人気のウナギの輸入にも挑戦した。

満を持して独立を果たしたのは2018年4月。社名の「SSO」は、サーモン・シュリンプ・オイスターの略。サケ、エビ、カキの輸出入に特化した水産関連企業にしたいとの思いから名付けた。

ただ、業務はそれだけにとどまらない。取引先の日本から「こういう食材はないか」と声を掛けられれば、いち早く調達にも動く。バンコク伊勢丹のような百貨店や商業施設から声がかかれば、催事のコーディネートも請け負っている。タイのレストラン向けに1次加工の食材も供給する。

本社はバンコク西方サムットサーコーン県マハーチャイに置く。タイ最大規模の水産市場「タレー・タイ」がある港町だ。水産の街に拠点を構えて2年。午前4時から始まる競りの様子が何よりも好きだという新美さんは、今日も新たな取引に挑戦している。(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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