海外日本食 成功の分水嶺(120)ラーメン専門店「ROCKMEN」〈下〉

連載 外食 2021.03.29 12207号 03面
自分の手でラーメンを作る井上虫歯二本さん。手前の器には寝かした醤油が入っている=タイ・バンコクで小堀晋一が2月24日写す

自分の手でラーメンを作る井上虫歯二本さん。手前の器には寝かした醤油が入っている=タイ・バンコクで小堀晋一が2月24日写す

●可能な限り自分で作る

今年1月、タイ・バンコクに新規出店し、瞬く間に人気店となったラーメン専門店「ROCKMEN(六九麺)」。そのマネージャー井上虫歯二本(本名・慎史)さんには、もう二つの別の顔がある。一つは経験豊富な経営管理(マネジメント)の管理者の顔。そしてもう一つは、元吉本興業所属のお笑い芸人としての顔だ。

話は二十数年前にさかのぼる。福岡・北九州出身の井上さん。大学を中退し飛び込んだのは、憧れを感じていたマネジメントの世界だった。就いた職種は、書店、板金工場、トラック運送業、美容業界、スキー場、ホテルマン、バーなど実にさまざま。いずれもマネジメントの現場ばかり。「何でも一通り極めたいと思って」。責任者に抜てきされると、次の職場に移ることを繰り返した。

吉本興業の門をたたいたのはその後29歳の時だ。子どものころ、紙芝居を作っては自宅近くの公園で人々の笑いを誘っていた井上さん。今度は「本気で人を楽しませたい」と本格的な芸人の道を選んだ。「虫歯二本」はその時に付いた芸名。世話になった業界人が名付け親だった。

全国から若手が集まる吉本で、30歳目前は異端な存在だった。年下の先輩、納得できないことも少なくない厳しい世界。この時、役に立ったのが通算6年に及んだマネジメントのノウハウだった。「笑いはいろいろな要素が組み合わさって起こるもの」ということに気付いた井上さん。同期生の中で最も早くTVのレギュラー番組も射止めた。

数年後、三たび転機が訪れる。九州出身のラーメン大好き人間の自分が、いつの間にか深夜のラーメンに豚骨を選ばないことに気付いたのだった。体が求めるのは、あっさりのしょうゆ味か塩味。「そうだ。年齢を重ねた人も食べられるラーメンを作ろう」。そう決断して入校したのが、東京・品川にあった私設のラーメン学校だった。

学校でラーメンの基礎知識を習得してからは早かった。2018年末には東京・高円寺にラーメン専門店「六九麺」をオープン。周囲にこってり系のラーメン店が多い中、あえてシンプルなしょうゆラーメンを看板に挑んだ。ターゲットはずばり、年配客と女性。狙いは見事に当たり、並み居る繁盛店を抑え一気に人気店に上り詰めた。一人の女性客らが支えてくれた。

そして次なる夢が、旅先で知ったラーメンブームに沸く海外タイでの勝負。その1年後には早くも海を渡る決心をしていた。タイのラーメン専門店「ROCKMEN」の開業は、積もり積もった夢の結晶だった。

井上さんには、遠く北九州時代に故郷で記憶された原体験がある。屋台のおじちゃん・おばちゃんが作ってくれた一杯のラーメン。店に入って来る時は「お帰りなさい」。会計して出て行く時は「いってらっしゃい」。そんな心温まる雰囲気が好きだった。

そして、何よりも作り手との関係が近かったこと。自分が作ったラーメンを自分の手で客に渡す。その時のお客さんの喜ぶ顔がいっとう好きだった。だからタイの店でも、可能な限り自分でラーメンを作り、出し続けている。「おまちどうさま」。代えがたい最高の瞬間だ。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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