海外日本食 成功の分水嶺(94)ジャパニーズBBQ神戸屋〈下〉
●スタッフの成長がうれしい
東南アジアのミャンマーで、ちょっとおしゃれな日本式焼肉店「ジャパニーズBBQ神戸屋」を営む中村弘子さんは、開店から2年ほどたった2014年、ヤンゴンの一般大衆焼肉店で郷里の日本から遊びに来ていた実父を迎えていた。自らの店舗とは対照的な安価な店。「安くて使いやすいよね」という父の一言に、業態を変えた多店舗展開の可能性を見つけた。
ただ、最大都市とはいえヤンゴンの焼肉店供給は若干飽和気味。では、第2の都市である中部マンダレーはどうだろうかと早速、視察に行ったところ、大衆店ならば余地があると実感。「やったら、ええやないか」という父の勧めもあって決断した。
姉妹店の店舗名は「NakaNaka(なかなか)ジャパニーズBBQ」。なかなか良いの意味に、自身の名前の一字。さらにはミャンマー語の言いやすさを組み合わせた。神戸屋が国産和牛に限定しているのに対し、なかなかは豚肉が中心。牛肉も多くを米国産に切り替えて、できるだけ安価で提供することにした。
結果は、一気に人気店に。ミャンマー人の常連客で連日店は満席となった。人工都市の首都ネピドーはヤンゴンとマンダレーのほぼ中間にある。週末ともなるとネピドーから車を使ってわざわざ食べに来るミャンマー人の役人の姿も。富裕層から一般客までさまざまな人々が日本式の焼肉を楽しんでいる。
順調に見えた2号店だったが、昨年後半には海外特有の“災難”にも見舞われた。大家による突然の立ち退き要請である。借地借家法が存在し、借り主の強い権利が認められている日本とは対照的に、法整備の未発達な東南アジアでは少なくない事例だ。「今月末で出てってくれ」。そんな大家からの通告が当たり前に通るのはミャンマーでも例外ではなかった。
困り果てた中村さん。でも、こんなことで落胆していてはいられないと早速の物件探し。近くで移転先の確保を終え、再オープンの準備に忙しくしていたところ、再び2号店の大家から連絡が入った。「やっぱり出て行かなくていい。そのまま営業しておくれ」。案の定というか何というか。
ところが、この事態を「神様がくれたチャンスではないか」と前向きに考えたという中村さんは、一計を案じることに。ミャンマー人スタッフを集めると、あえてボールを投げてみることにした。「どうしたらよいと思う?」近隣同士で2店舗展開となると、さすがにマンダレーでも共倒れの可能性がある。真剣勝負、よほどの緊張感がないと難しいと思った。ところがスタッフから寄せられた回答は、口々に「やりましょう」。目頭が熱くなったという中村さんは、スタッフの確かな成長を感じてやまなかった。
神戸屋、なかなか2店舗ともに従業員は多くは、南部エーヤワディー川(イラワジ川)のデルタ地域に位置するエーヤワディー地方域の出身。インフラの整備が未発達な地域で働き口は極端に少なく、出稼ぎが主要な仕事場だった。
それだけに仲の良さ、同郷の仲間を大切に思う気持ちはひときわ。助け合って仕事に励んでくれている。「緊張感を持って仕事に当たれば、伸びていくのはどこの国の人も同じ」。そんなことを中村さんは肌身で強く感じている。(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)