海外日本食 成功の分水嶺(171)日本家庭料理「みゆき」〈上〉
●自宅のようなくつろぎ空間
タイ東北部、ラオス国境にも近いウドンターニー県にある日本料理店の「みゆき」は、ふだん自宅で食べるようなメニューばかりを取り揃えた家庭料理の店。約120km東にあるサコーンナコン県出身のタイ人女性スパラット・カワサキさん(54)が、コロナ禍の2022年6月に開業した。豚のショウガ焼き、冷しゃぶサラダ、ヒジキ煮など、日本でおなじみの定番料理がいくつも並ぶ。日本人客も来店するが、海外旅行などで日本食を知ったタイ人客が思い出の味を求めて足しげく通っている。
タイで生まれ育ったが、日本での生活が長い。最初の日本滞在は21歳の時。日本人男性と知り合い、程なく結婚。沖縄県石垣島で約6年暮らした。二人の息子はすでに成人し、一人はタイで、もう一人は日本で暮らしている。石垣島では飲食店などでアルバイト。仕事を通じてカレー、日本そば、お好み焼き、鶏の唐揚げ、ラーメンといったよくある日本料理を覚えていった。
その後、男性とは別れたものの、タイに帰国し居住したチェンマイで別の日本人男性と2度目の結婚。再び日本で暮らすことになった。29歳の時だった。今の氏名のカワサキは、入籍した夫の姓を名乗っているためだ。
日本で暮らしたのは神奈川県伊勢原市。夫は「無理しなくていい」と言ってくれたが、時間を無駄にもしたくなくて惣菜工場などでパートとして働いた。ヒジキ煮やおでんなど酒のあてにもなる左党向けの一品料理は、こうした場所で覚えた。
タイでも始まっている高齢化社会を日本でも目の当たりにし、社会の役に立ちたいとヘルパー2級の資格も取得した。「どこにいても、一人でも生きていけるようにならないと。夫とはいえ、頼り切っていてはだめ」と自分自身にはっぱをかける。
現在の夫との間には、「どうしても欲しかった」という娘のみゆきさん。来春の就職がすでに決まっている高専5年生だ。伊勢原市の自宅から片道2時間近くをかけて学校に通う生真面目さを母親として誇りに思う。店の名は、もちろん愛娘から採った。
コロナで日本とタイの行き来ができなくなって、相当に気をもんだ。タイには長男もいるし、8人兄弟の兄や姉たちもいる。末っ子の自分が元気でいるところをどうしても見せたかった。夫に相談したところ、二つ返事で「近くにいてあげたほうがいい」の言葉。こうしてコロナ規制が緩和されたことを見越して、帰国することにした。娘も大きくなって、親離れができると判断した。
せっかくタイで生活するのだから自分できることをしようと、日本食料理店を開店することにした。初めは郷里のサコーンナコン県で屋台形式の店を開いたが、小県のため、さすがに客がいない。そこで東北部では人口が多いウドンターニー県に店を構えることした。
日本にいる夫も、タイと日本を行き来してくれる。だから、寂しさも特に感じない。コロナ禍で客が少なかった時期も「頑張ろう」と周囲の店々と乗り越えた。見事なほどのポジティブ思考で、訪れた客のほとんどをとりこにしている。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)