海外日本食 成功の分水嶺(114)日本式焼肉店「チェンマイホルモン」〈下〉
●納得いく肉探しに半年
タイ北部チェンマイにある日本式焼肉店チェンマイホルモンでは、週に一度、首都バンコクにある特約店から新鮮な肉を冷凍便で取り寄せている。オーナーの内田誠さんが試行錯誤の結果、ようやく見つけた調達先だ。もちろん、価格を気にしなければもっと容易に、チェンマイにいながらにしておいしいものは手に入る。だが、原価が上がれば価格に転嫁しなくてはならない。一般のタイ人客を対象とする以上、それはできる選択肢でなかった。
出店に当たって、内田さんが最も苦労したのが肉の入手ルートの確保だった。穏やかでのんびりとしたチェンマイで店を出すことまでは決めていたが、日本式焼肉に合うちょうど良い肉がなかった。食肉解体処理場まで足を運んだこともあったが、硬かったり、質感がパサパサしたりしてとても向かなかった。肉探しだけで半年を費やした。
チェンマイ県内だけでは見つからず、周辺の産地やバンコクまで足を伸ばしたこともしばしば。行く先々で焼肉店に入り、味の確認や市場探索を行った。こうして見つけたのが現在の入荷先。この安定供給が、人気店であり続けるための必要十分条件となっている。
肉と一緒に焼く野菜は、地元チェンマイ産にこだわっている。標高があり、乾期と雨期、昼夜の気温差があるタイ北部。野菜はみずみずしさを増し、この地で取れたものはバンコクでも高値で取引されているほどだ。生食にも向くこうした新鮮野菜を店頭で提供することで相乗効果も期待できる。この地に定住すると決めた内田さんが、かねて抱いていた構想だった。
大阪は箕面生まれ。大学卒業後、出版社などに勤務したが、かねがね自分の店を持ちたいと、焼肉店や居酒屋でアルバイトを始めた。26歳の時には旅行でバンコクへ。「すごい熱気。カルチャーショック。ご飯も安い。こんな世界があるのか」と度肝を抜かされ、とりことなった。その時あった蓄えで優に1年が暮らせることが分かると、迷わず海を渡った。
バンコクの携帯電話会社で働いた後、東部の観光地パタヤに移った。そこで知り合ったのが東北部コンケン出身の妻のマイさんだ。パタヤでは小さなカフェを経営しながら、将来を語り合った。家族でチェンマイを旅行した時に「ここに住もう」と決めた。
現在は、マイさんがチェンマイホルモンの本店を切り盛りしながら、内田さんが三つの店をオートバイで行き来して従業員指導や経営管理を行っている。12歳の長女も店を手伝ってくれるまでに成長した。かわいい盛りの4歳の長男も、8歳の次女が世話をしてくれるから安心だ。
昨年6月にオープンしたばかり居酒屋「十べゑ」も好調で、コロナ禍明けにかかわらず前年の売上げを超えている。「タイ人客を意識して、御飯屋寄りにした成果」と内田さんは分析する。その口調はどこまでも穏やかで、腰の低さが印象的だ。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)