海外日本食 成功の分水嶺(173)「小料理みかみ」〈上〉
●タイで和食の腕を振るい30年
タイの首都バンコクのトンロー地区にある「小料理みかみ」は、刺し身、焼き物、煮物、揚げ物などが一通り味わえる和食の店。神奈川県など関東地方一円で修業を重ね、タイの日本料理専門店で29年間板前として経験を積んだ三上博樹さん(62)が3年前にオープンした。
本来であれば60歳の定年を迎えてから、ゆっくりと自分の店を持つつもりでいた。ところが、最後の職場と考えていた寿司店がタイの有名資本に売却され、早期退職の打診を受けた。さらに別の店に移って仕事を続ける道もあったが、ちょうどよい頃合いと考え、第二の人生を選ぶことにした。タイ人の妻のワンさんの後押しもあった。
だが出店を決めたのもつかの間、今度はまさかの新型コロナのまん延。オープン予定だった2020年3月下旬以降は政府の指示によって店内営業が禁止となり、内装工事を済ませたばかりの店に客を招き入れることができなくなった。仕方なく、弁当の店頭販売や宅配などで急場をしのぐこととなった。
ようやく店を開けることができたのは、それから3ヵ月がたった7月1日。三上さんはこの日を開店記念日としている。しかし、間もなく始まった第2波の到来で、再び店内営業が全面禁止に。翌日から頑張ろうと予定していたスタッフの慰労会当日が当面最後の営業日となり、すっかり出ばなをくじかれてしまった。
「このままだと従業員の給料が払えなくなる」。心配が頂点に達したころ、バンコクで水産物を扱うサプライヤーから打診があった。聞けば、需要を見越して輸入した冷凍ウナギが店内飲食の禁止で行き場を失い、このままでは廃棄しなければならないのだという。「言い値で構わないので引き取ってほしい」。こうして買い取った冷凍ウナギが、小料理みかみを救う救世主になるとは、店主自身予想だにしなかった。
もともとウナ重などもメニューにあったことに加え、かつて日本のウナギ専門店で勤めた経験から引き取りを決意した三上さん。しかし、果たして売れるのかは分からなかった。何しろ取り巻く環境は未曽有のコロナ禍。ただ、挑戦する価値は十分にあると考えた。
自分で写真を撮ってパソコンでデザインし、それをインターネット上にアップした。重箱の上にこんもりとM字型に盛られた肉厚のウナギのかば焼き。「写真はイメージではありません。本物です」と書き添えるのも忘れなかった。反応はすぐに現れた。タイ人客らが口コミで来店し、買い求めるようになったのだ。中には「こんな大きなウナギは他店にないから」と十人前も買い求める人も。電話のベルが鳴り、「ウナギ屋さんですか」と尋ねる客も出現した。コロナ禍の消費市場に現れた新たなニーズが店の窮地を救った。
サプライヤーで在庫となっていたウナギは結局100ケースもあった。1ケースには35枚のウナギの開き。その大半を小料理みかみで消費した計算となる。その時の強烈な印象があるのだろう。アフターコロナの今は、日常的にタイ人客の来店も徐々に増えるようになった。「ウナギに助けられた」というのが三上さんの率直な感想だ。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)