海外日本食 成功の分水嶺(148)タイ・メイド喫茶「めいどりーみん」〈下〉
●インドネシアベトナムなど、近隣諸国からも来訪客
今年5月中旬の昼下がり、タイ・バンコクのメイド喫茶「めいどりーみん・フラッグシップ店」に見慣れない一人の女性客が訪れた。頭部にはおしゃれなヒジャブ、ムスリム(イスラム教徒)の女性が頭や身体を覆う時に使う、あの布のことだ。東南アジアのイスラム教は世俗色が強く、ヒジャブも実にカラフル。女性は店内を流れる軽快な音楽に合わせながら、午後の一時期を楽しそうに過ごしていた。
女性は、インドネシアからやってきたという20代の留学生で、1人暮らし。タイで暮らすようになってから日が浅かった。この日は彼女の誕生日。だが、まだ友達のいない女性は、観光サイトで見つけたこの店に一人でやってきたのだった。
「実は、今日は私の誕生日なの」。そう英語で会話を切り出す女性。「めいどりーみん」のメイドたちも流ちょうに英語を繰り、「それはお祝いしなくちゃ!」と笑顔で答えていた。程なく彼女の前に運ばれてきたのは、かわいく彩られたプレゼント用のアイスクリーム。ちゃんとローソクも乗っている。みんなでハッピーバースデーツーユーを斉唱。居合わせた客らも盛んに拍手を送っていた。
満面の笑みのインドネシア人女性。取り囲んでくれるのは、お祝いをしようと集まってきたかわいいメイド姿のタイ人ウエートレスたち。よほどうれしかったに違いない。女性客は帰り際、自席に丁寧な英文の手紙を残して席を立った。「ありがとう。初めは独りで寂しかったけれど、すっかりみんなに癒やされたわ。最高の誕生日になりました。また来ます。学校の勉強もがんばります」。そうつづってあった。
バンコクにある「めいどりーみん」の店には、インドネシアのほかベトナムや香港など近隣諸国からの客が少なくないという。店を運営する上田好伸さんは、東南アジアではタイにしか出店していないという地の利や、誰に対しても優しいというタイ人気質が背景にあると考えている。それだけに、タイ社会や従業員に深く感謝し、大切にしようと思っている。
2020年3月から始まったコロナ禍では、度重なる都市封鎖(ロックダウン)によって、「めいどりーみん」が入居する商業施設も閉鎖。長らく店内営業が禁じられた。このままでは店の経営は悪化するばかり。給料も払えなくなる。そこで上田さんが考えたのが、SNSを活用した情報発信サービスだった。
ネット空間を使えば、客や従業員が自宅からでも利用ができる。仕組みも簡単だ。こうして、ダンスや歌、日常会話などのメイド情報がリアルタイムで配信されるようになった。配信は、巣ごもり生活に飽き飽きしていた常連客のニーズにもマッチした。新規利用者の開拓にもつながった。結果、新たに仕事を生み出すことにもなった。従業員の多くも職を失わずに済んだ。
長かったコロナ禍で、店の経営も上田さん自身もすっかり疲弊したが、得られたものも多かったと感じている。社会はアフター・コロナに向けて始動を再開している。夢の国も、明日の希望に向けた歩みを本格化させている。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)