海外日本食 成功の分水嶺(108)北海道レストラン原始焼きスクンビット26〈下〉

外食 連載 2020.09.23 12118号 06面
「イケてる」スタッフが小澤将生さん(写真後の左から2人目)の自慢だ=タイ・バンコクで小堀晋一が7月27日写す

「イケてる」スタッフが小澤将生さん(写真後の左から2人目)の自慢だ=タイ・バンコクで小堀晋一が7月27日写す

●“一国一城の主”を夢見て

タイ・バンコクの「北海道レストラン原始焼スクンビット26」は、札幌に本部を置く「北海道原始焼き酒場ルンゴカーニバル」グループの海外店舗として2014年12月に開業した。

当初から新鮮な日本産の海の幸や、イタリア産巨大ホールチーズで仕上げるクリームパスタなどが評判を呼び人気店に。

ところが、ライバルの出店攻勢の中でその勢いも次第に鈍化。17年後半には、集客・売上げの両面でも伸び悩みを見せるようになっていた。

こうしたときに打診を受け、タイの店舗に参加したのが現オーナーの小澤将生さんだった。「タイに行かないか」。運営母体の社長から直接そう声を掛けられたという小澤さん。社長とは旧知の間柄で、断る理由もなかった。栃木県足利市の出身。高校時代からステーキハウスでアルバイト。飲食業好きが高じて、卒業後はそのまま就職した。

同店では、ホールでの接客から料理長との関係構築まで一通り覚えた。「キッチンと対等に話し合えるホールスタッフ」が大切であることを知った。

3年後、かねて関心のあった豪州へ。ここでワーキングホリデーの制度を活用しながら、就いた仕事は地元のシーフードを使った寿司作り。料理や接客ばかりでなく、英語はもとより店舗経営、店づくりのいろはについても学習した。

帰国後に就職したのは、東京でも人気店で知られた有名総合飲食企業。仕事の中で選んだのは、厳しさでは1、2を争うといわれた現場仕事。朝から晩までの長時間労働。それでいて、得られる給与は決して多くはなかった。「今は、自分に足りない厨房(ちゅうぼう)の勉強が先決。給料はいずれ戻ってくる」と考えた。3年間キッチンで修行した後、あっさりと料理人をやめた。24歳の時だった。以降はホールスタッフの道へ。「自分が飲食業で目指すのはホールサービスと分かった。ここで生きていくと決心した」

都内の別の店舗に移り、統括マネージャー、事業部長、取締役と順調に出世。見えてきたのが独立だった。「飲食業界にあって誰もが夢見るのが一国一城の主。自分にもそういう気持ちはあった」と小澤さんは振り返る。

こうした時に掛けられたのが、先に触れたタイてこ入れの打診だった。思えば、豪州を往復したのもタイ経由だった。勤務したオイスター店で知り合い、仲良くなったのもタイ人スタッフだった。「何かの縁かな」とも感じた。18年初頭、タイの大地を踏んだ。

すぐさまタイの飲食市場を巡った。確かに出店が相次ぎ、ある意味では飽和状態に近づいていた。だが、まだまだ伸びしろはあるはずだと感じた。

「どのような客層を、どのように狙いに行くかが大切」と小澤さん。「コンセプトがぶれると、お客もぶれる」とも。こうしてコロナ禍でも右肩上がりに推移しているのが「北海道レストラン原始焼きスクンビット26」だった。

タイに拠点を移して1年後、晴れて小澤さんは同店を買い取り、オーナーに。自分の店となった。スタッフもすっかり良き理解者に。「今いるのは、イケてるスタッフばかり。十分に攻めていける」と笑顔で語った。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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