海外日本食 成功の分水嶺(139)呑み食い処「五郎」〈上〉

外食 連載 2022.02.02 12358号 03面
呑み食い処「五郎」の店内。梁(はり)には父から受け継いだ看板が掲げられている=タイ・チェンマイで小堀晋一が21年12月5日写す

呑み食い処「五郎」の店内。梁(はり)には父から受け継いだ看板が掲げられている=タイ・チェンマイで小堀晋一が21年12月5日写す

●父から受け継いだのれん掲げる

2015年4月、呑み食い処「五郎」のオーナーシェフ佐藤誠さん(45)はタイ北部の古都チェンマイにいた。13歳の時に死別した母ナリサラさんの故郷。ここでしばらく暮らすことになり、空いた時間を有効に使おうと仕事を探していた。店を開く1年半前のことだった。

バイクで旧市街を走っている時に目に飛び込んできたのが、バンコクを本拠にチェンマイでも支店を出していた日本料理店「寅次郎」の看板だった。この辺りではまだ珍しかった日本人経営の本格派料理店。連絡を取ると気さくに応じてくれたのが、オーナーの中村蒸一さんだった。

面接を経て、寅次郎の一員となった。もともとが料理人の息子。仕入れ業者ともすぐに仲良くなり、仕事も覚えた。余った食材でお通しを作るなど商品開発にも関わるようになると、思いは次第に膨らんでいった。「いつか自分の店を持ちたい」

街は夜が早く、午後10時を過ぎれば開いている店もグンと少なくなる。仕事で遅くなっても立ち寄る店すらない。夜遅くまで開いていて、少し小じゃれて、飲み食いができる店。そんな店を出そうと決めた。

すでに引退していた父正男さんに相談した。正男さんは一通り話を聞くと、「じゃあ、これを使えよ」と倉庫から一枚の木彫りの看板を取り出してよこした。見覚えのある赤茶けた寿司屋の看板。四半世紀以上も前に、父がバンコク・シーロムで営業していた寿司と天ぷらの店「五郎」に掛けてあったものだった。当時、店は大繁盛。故ラーマ9世(プミポン国王)の前で天ぷらを揚げたこともあった。

聞けば看板は、かつて父が修行を経て、東京・世田谷で「寿司・五郎」を開業した際に、取引先などから祝いに贈られたものだった。以来半世紀。看板は父とともに海を渡り、今度はタイで息子の手に託されることになった。こうして呑み食い処「五郎」は16年9月オープンした。

それから5年。21年の夏を佐藤さんは忙しく過ごしていた。今ではチェンマイにも多くの日本食料理店やサービスの店が進出しているが、新型コロナによるダメージは深刻だった。多くの飲食店や物販、サービスの店が経営難に苦しんでいた。このような時にこそ、タイにルーツの一つを持つ自分ができる恩返しがあるのではないかと考えた。

チェンマイ日本人会が主催する「がんばろうチェンマイ」という名のオンライン展示会にボランティアで加わった。日本にいるタイ好きやチェンマイ愛好家、出店希望者らをインターネットで結ぶ取り組み。実際に訪問した気分になれるよう、出店内容なども厳選した。コロナが明けた後のビジネス展開や文化交流などに役立ててもらうことが目的だった。

出店事業者は最終的に50を超える数に膨らんだ。日頃は交流の少ない横の関係も広がった。佐藤さんが主に担当したのは、Webサイトへの入力作業。一番地味で単調な仕事だったが、だからこそ引き受けた。亡き母の故郷で、これからも生きていく覚悟だ。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)