海外日本食 成功の分水嶺(121)江戸前寿司「サチコ寿司」〈上〉

外食 連載 2021.04.14 12214号 08面
「サチコ寿司」を経営する戸塚盛夫さん(右)と妻のアマリンさん=タイ・ターク県で小堀晋一が2018年7月写す

「サチコ寿司」を経営する戸塚盛夫さん(右)と妻のアマリンさん=タイ・ターク県で小堀晋一が2018年7月写す

●ここなら暮らしていける

バンコクから北北西に約450km。タイ北部ターク県はミャンマーと接する国境の街。山岳地帯が多くもともとはモン族が暮らす土地だったが、北部にいたタイ族が南下して入植。国境付近に定住したものと考えられている。13世紀のスコータイ朝中期には現在の県都が形成。アユタヤ朝時代になると、ビルマにあったタウングー王朝侵入の防衛拠点として機能した。ただ、意識は常に国境に向けられており、県庁所在地にはない飛行場が国境の郡部にあるなど、県庁所在地ムアン・タークはこぢんまりとしたたたずまいを今なお街並みに残している。

その小さな街に、江戸前寿司の「サチコ寿司」がのれんを出したのは今から約12年前。人口50万人の県に、本格的な日本の寿司店はまだ一軒もなかったころだった。千葉県出身の戸塚盛夫さん(81)がタイ人妻のアマリンさんと2人で出店。日本での暮らしが長かったアマリンさんが、伝統の江戸前寿司を握り続けている。

ターク県はアマリンさんの出身地。勝手を知った土地であることから出店場所として選んだが、客が日本の寿司を知らなかった。タークでも魚は食べていたが川魚が中心で、まず生食はしない。ましてや、海で捕れるマグロやサーモンを味わったことのない客も少なくなかった。

客の入らない苦しい時期が3、4年も続いた。「何回もやめようと思った」と戸塚さん。そのたびに「もう少し、もう少しと頑張った」とアマリンさんは振り返る。

メニューの見直しや、よりよい立地を求めて移転をするなど工夫を重ね、ようやく客から認知されるようになったのは開店から7、8年がたったころだった。「ようやくタイで暮らしていけると実感できるようになった」と話す戸塚さん。気がつけば日本を離れて長い年月がたっていた。その時も今も、一度も日本には帰っていない。

日本で商事会社に三十数年勤務したという戸塚さんは一貫して営業畑。飼料や宝飾類などを扱っていたというが、国内営業が中心で海外との接点はほとんどなかった。そんな時に社員旅行で訪れたのが東南アジアのタイだった。暖かく、人々の笑顔が優しい南国の大地。「ここでなら暮らしていける」と直感した。

その後、日本でアマリンさんと出会い結婚。老親の面倒を見たいという妻の願いをかなえたいと、退職をきっかけにタイにともに渡る決意をした。心配した食べ物や生活習慣への違和感もなく、すぐに溶け込めたという戸塚さん。今でもたまにあるという郷里からの友達の電話が楽しみで、数年前にはわざわざ足を運んでくれた友達もいた。

サチコ寿司の出店から12年の間に、ターク県でも寿司を扱う日本食店などが相次いで出店。今では2桁近い店が立ち並ぶ。寿司種や海苔などを扱う業者も全国展開するようになり、日本の寿司も広く浸透するまでとなった。日本に旅行するタイ人客も増え、日本で食べた和食の味をタイでも求める動きも広がっている。競争は厳しさを増している。

それでも戸塚さんは至ってマイペース。「これまでやって来た通りにやればいい」。家族とともに歩んできた笑顔は柔和な好々爺(や)そのものだ。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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