海外日本食 成功の分水嶺(151)メニュー・デザイン・ラボ(タイランド)〈上〉
●こんなに苦しいことなかった
毎月の売上げは4分の1以下。最大で月50万バーツ(約185万円)の大赤字。タイ・バンコクでデザイン会社「メニュー・デザイン・ラボ(タイランド)」を経営する大阪出身の近藤かおりさんは、この2年半のコロナ禍を一人、パニック状態で過ごしていた。売上げが激減する一方で、人件費や機器のリース代など固定費が重くのしかかっていた。タイで事業を立ち上げてから10年。「こんなに苦しいことは一度もなかった」
客の大半はレストラン、居酒屋などの飲食店。政府のロックダウン(都市封鎖)政策により、街中の店という店は客を招いての店内営業の禁止を余儀なくされた。残る営業形態は宅配(デリバリー)のみ。わずかなパイを奪い合う熾烈(しれつ)な争奪戦が起こっていた。
注文を受け、制作に取りかかっていた飲食店のメニューづくりは、キャンセルや一時棚上げが相次いだ。一時といっても、コロナ禍がいつ終わるとも分からない。出口の見えない恐怖は日々の酒量を増加させた。「酒を飲んで現実逃避する毎日。お金ないのに無理していた」。今は笑顔でそう語るが、精神的なプレッシャーは相当だったはずだ。
社員の出勤は週5日だったのを2日ないし3日に減らしてもらった。仕事がないから仕方なかったが、その分、給料が減るのが心苦しかった。少しでも手渡してあげたいと、売上げのあった月は積み増ししたが、支給額のアップダウンが繰り返されることに心を痛めて田舎に帰ると告白するスタッフも少なからずいた。
デザイン会社に勤務するタイ人スタッフは、大学や専門学校で特別な教育を受けた技術者が多い。このため給与水準は飲食店などの現場で働く人たちより若干高めとなるのが業界の常だった。加えて繊細な人が多いことから、不測の事態に対する免疫も飲食店の店員よりも持ち合わせてはいなかった。社員が精神的に持つかが、毎日の気がかりだった。
「スタッフもギリギリだったに違いない。でも、怖くて話を切り出すことができなかった」と近藤さん。「とりあえずガンバロー」とは口にするものの、乾ききったその言葉に、笑顔で返事が返ってくることはなかった。
売上げの減少からくる赤字は、個人資産を投入することでカバーした。とはいえ、毎月数十万バーツの持ち出し。預金通帳の残高は見る見る減っていった。怖くなって、途中から確認するのを止めた。
収入が立たない以上、支出を抑えるしかなかった。家賃が半分の雑居ビルに会社を移転した。リースなども緊急性のあるもの以外は可能な限りカット。1バーツ単位での節約に励んだ。「言い値で支払うのがこの業界での昔からの作法。これまではその分、売上げを伸ばせばいいと考えてきたが、考え方を根底から変える必要があった」
自宅家賃も安価な物件に引っ越した。仕事付き合いのあった知人が家賃を減額してくれた。「普段は接点のあまりない人も助けてくれた。人のありがたみが分かった」と近藤さん。感染拡大の峠が過ぎた今、あの2年半で起こったことをゆっくりと振り返っている。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)